大 斎 原 (お お ゆ の は ら)

 熊野本宮大社の鳥居前の国道168号線を渡って、田んぼの間の御幸道を進むと正面に日本一の大鳥居が見え、大鳥居をくぐって少し歩いた右手にあるのが、明治22年の大水害まで熊野本宮大社が鎮座した「大斎原」です。熊野川、音無川、岩田川の合流地点である川の中州にあって、江戸時代までは橋がなく、昔の参詣者は川を歩いて本宮大社まで渡りました。その様子は「濡れわらじの入堂」といわれ、本宮大社参詣前の最後の水垢離であったといわれています。


大水害の際には中下四社、神楽殿、拝殿、中御門、東御門、西御門、社務所、籠所、御番所、神饌炊所、神庫、文庫、能舞台、高橋、手洗所、神馬舎、東鳥居、西鳥居および摂末社が流失し、かろうじて流出をまぬがれた上四社が明治24年に高台の現社地に遷宮されました。このように上四社を除いた構築物が全て流出してしまったことからも、当時の大洪水の規模がいかに大きいものだったかということがわかります。

社殿については中四社には
第五殿(禅児宮)御祭神・忍穂耳命(おしほみみのみこと)
第六殿(聖宮)御祭神・瓊々杵命(ににぎのみこと)
第七殿(児宮)御祭神・彦穂々出見命(ひこほほでみのみこと)
第八殿(子守宮)御祭神・鵜葺草葺不合命(うかやふきあえずのみこと)

下四社には
第九殿(一万十万)御祭神・軻遇突智命(かぐつちのみこと)
第十殿(米持金剛)御祭神・埴山姫命(はにやまひめのみこと)
第十一殿(飛行夜叉)御祭神・彌都波能賣神(みづはのめのみこと)
第十二殿(勧請十五所)御祭神・稚産靈命(わくむすびのみこと)
の神々がお祀りされ、元境内摂末社は年代によって御祭神の記述も異なりますが昭和6年熊野坐神社(現・熊野本宮大社)発行の「熊野坐神社由緒記」の旧社略図には明治7年、以下の御社が記載されています。

少彦名神社 御祭神・少彦名命
手力男神社 御祭神・天手力男命
八百萬神社
高倉下神社 御祭神・高倉下命、穂屋姫命
大国主神社 御祭神・大国主命
須勢理姫神社 御祭神・須勢理姫命
四社合殿

流出した社殿は現在は旧社地にある2基の石祠に合祀され、正面向かって右の石祠には中四社・下四社が、向かって左の石祠には元境内摂末社がお祀りされています。
ふだんは静かな場所ですが熊野本宮大社の春の例大祭では町内外からたくさんの人出があり、八重桜が咲き残る中、古くから伝わる神事が行われます。


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参考文献:昭和6年・官幣大社熊野坐神社発行「熊野坐神社由緒記」

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