

| 平安時代から江戸時代にかけて、全国各地から現世での(生きている間の健康、長寿、出世)そして死後の極楽(死んでからは極楽にいきたい)を願って熊野三山の神々にお願いするために詣でた道をいいます。 初めは修験者、僧侶、平安中期ごろからは貴族、武家、庶民と熊野を目指して大勢の人々がこの道を通りました。その様子が蟻が行列をなしてすすんでいるように見えたので「蟻の熊野詣で」と言われました。 都であった京都からの道(中辺路)が、最も多く利用され往復約700Kの行程を20日〜1ケ月かけて非常に苦労をしながら神々へ祈りに詣でたのです。 1000年の歴史のある古道で1977年(昭和52年)日本の歴史の道として三大古道(奥の細道、中仙道、熊野古道)の一つに指定されました。 |
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| ●三越(みこし)峠 | 「まもりける 関所のあとも あれはてて 木枯し寒し 三越の山」 古代より 口熊野、奥熊野との境に当り最後の難所であった(現在は東牟婁・西牟婁の境)。中世にはこの峠に関所があり、茶屋もありました。 |
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| ●猪鼻(いのはな)王子 |
「はるばると さかしき峯を分け過ぎて 音無川を けふ見つるかな」 私達にとって日頃見なれた音無川でも、平安の都人にとっては夢にまで見つづけた音無川、苦しみが大きければ大きい程喜びがわきます。音無川の上流沿いの林道を歩いた地点の右下60mの木立の中にひっそりと立っているのが猪鼻王子です。 江戸時代に紀州藩が熊野古道の荒廃をふせぐため、石碑を寄進したのです。石碑は「緑泥片岩(りょくでいへんがん)」、和歌山市付近にある石で、海上から山を運んできて建てられたのです。 |
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| ●発心門(ほっしんもん)王子 | 重要な場所にまつられた五体王子のひとつです。 熊野三山の聖地に入る、入口にあたり大きな鳥居の門があった。人々は大鳥居の前でけがれをはらい身を清めて門をくぐったのです。 歌人の藤原定家が熊野比丘尼の「南無房宅(なむぼうたく)」に泊まり歌を詠んだ歌碑があります。 「いりがたき みのりの門はけふすぎぬ 今より六の道に帰すな」 |
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| ●水呑(みずのみ)王子 | この王子には水が出ていますので、お参りする人々が休憩するのに都合よく、水呑という名前がついたのでしょう。 ここは小学校のあとを売却され、白浜の観光業者が宿泊等の施設を作りましたが今は営業を中止しています。営業当時、植えたさつきが四月〜五月頃には見事な花を咲かせています。ここから伏拝王子まで、杉桧の木立の中をいにしえながらの古道を歩くことが出来るので古道を歩く人にとって楽しい道のひとつです。 |
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| ●伏拝(ふしおがみ)王子 |
長く苦しい旅路の末、ようやくこの地にたどりついた人々は熊野本宮大社を遠望し、思わず伏して拝んだという伏拝の地名もそこから生まれたのです。 「晴れやらぬ 身の浮雲のたなびきて 月の障りとなるぞかなしき」
その夜、夢枕に熊野権現が現われ 「もろともに 塵にまじわる神なれば 月のさわりもなにかくるしき」 とお告げがあり、式部は喜んで参詣を果たすことができたといいます。 (伏拝地区・・・・・旧伏拝村は家数41戸、馬数9頭、伝馬所「馬継所」として交通、通信上大切な集落でした。) |
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| ●三軒茶屋 | ここは中辺路と小辺路の分岐点で、古道を詣でる人々でにぎわい、三軒のお茶屋があり休憩所になっていたその当時の石の道標があります。 「右かうやみち十九り」「左きみい寺三十一り半」と書かれています。九鬼ヶ口関所跡もあります。 |
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| ●祓戸(はらいど)王子 | イチイ樫の大木と杉の大木に囲まれた石造の小祠が祓戸王子です。 ここが旅の汚れを祓い清める場所であった。 |
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文・熊野古道語り部
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